2022년 5월 22일 일요일

121. 倭建命の正体



古事記には倭建命, 日本書紀には日本武尊とする. もとの名は小碓命といい. 彼についての記錄はほとんと噓であります. 彼は百濟と倭の古代史の中心人物であるので古事記と日本書紀の編者達は倭建命を神話の中に隱し眞實をいわなかった. 


倭建命はAD 318(戊寅年)20代初めと見えるのでそんなに神話の中の人物ではありません. 彼の系譜は史書によるべきではないです. どうせ造られたもんね. ここで描く倭建命は斷片的歷史記錄を整理した結果であります. まず倭建命の時代はいつだったでしょう. AD300-370年位いと見て差支えないようです.


倭古代史の流れ (神武から仁徳まで)


神武天皇

正始六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授


天押帯日子命

(神武東征中死亡)

開化天皇

孝安天皇

立卑彌呼宗女壹與年十三爲王


日子国意祁都命

孝靈天皇

崇神天皇

建波邇安王の反逆

玖賀耳之御笠討伐

四道将軍

比古由牟須美命

景行天皇

倭建命

成務天皇( -355)

仲哀天皇( -362)

建内宿禰

東国征討

近肖古王   

貴須王

神功皇后

応神天皇

宮主矢河枝比売

七支刀(372)

枕流(トムル)王


大鞆和気命

宇遅能和紀郎子

応神死亡(394)

仁徳天皇

AD 245

AD 256

AD 287 丁未年

AD 318戊寅年

AD 362壬戌年

AD 384



古事記開化天皇条に大筒木垂根王, 讃岐垂根王の娘に五柱がいたとの記錄がある. 


この天皇が旦波之大県主、名は由碁理の娘、竹野比賣を娶って生んだ御子は比古由牟須美命. その兄の比古由牟須美王の子は大筒木垂根王, 次に讃岐垂根王. 二王. この二王の娘に五柱がいた.


系譜に年代を入れると次のようです. 比古由牟須美命は295年頃山代の筒木で倭建命の双子を生んだ. そのあと四國の讃岐にいって志理都紀斗売と會う. 志理都紀斗売は建伊那陀宿禰の娘とするが建諸隅命の娘とした方が整合性がある. 建諸隅命は天日槍に敗けて建諸隅命の家門は危機に落ちる. 比古由牟須美命は300年頃讃岐垂根王を生んだ. 讃岐垂根王の名前が品陀真若王, 彼が三柱の娘の父である. 品陀真若王に絡む社跡が徳島県名西郡石井町石井石井にある. 


竹野比賣

250-

比古由牟須美命

270-

大筒木垂根王

=倭建命300-

迦具夜比賣

320-

袁邪弁王340-

二柱の娘



讃岐垂根王

=品陀真若王300-


三柱の娘330


 

比古由牟須美命の後孫 五人の娘

比古由牟須美命


倭建命

布多遅比売(意富多牟和気の娘)

応神天皇

=稲依別王



倭建命

布多遅能伊理毘売命

(伊玖米天皇=天之日矛の娘)

迦具夜比賣命

=布忍入姫命

宮主矢河枝比売

袁那弁郎女


品陀真若王


高木之入日売

中日売命

弟日売命



古事記開化天皇条に山代之大筒木真若王の記錄がつづく. 


次に山代之大筒木真若王が同母弟の伊理泥王の娘の丹波能阿治佐波毘賣を娶って生んだ子は迦邇米雷王。この王が丹波之遠津臣の娘、名は高材比賣を娶って息長帯比売子は息長宿禰王。

この王が葛城之高額比賣を娶って生んだ子は息長帯比賣命。次に虚空津比賣命。次に息長日子王。三柱。この王は吉備品遅君、針間阿宗君の祖。また、息長宿禰王が河俣稲依毘賣を娶って生んだ子は大多牟坂王。これは多遅麻国造の祖である。



古事記の重復している世代をきれいにまとめると日子坐王(270-)-大筒木真若王(310-)-息長帯比売(340-)になります. 比布礼能意富美=大筒木真若王=息長宿禰王になるわけですが大筒木真若王が大筒木垂根王の娘迦具夜比賣を娶って息長帯比売を生んだことです. 比布礼能意富美は大筒木垂根王の婿であって宮主矢河枝比売は倭建命の外孫である

息長帯比売の父母

比古由牟須美命270

阿邪美都比賣

大筒木垂根王300

=倭建命 300

迦具夜比賣命(母)

=葛城之高額比売 320

宮主矢河枝比売340

袁那弁郎女

袁邪弁王

日子坐王270

比布礼能意富美(父) 

=息長宿禰王310

=大筒木真若王


息長帯比売340

虛空津比売

息長日子王


古事記開化天皇条の比古由牟須美命に大筒木垂根王, 讃岐垂根王の二人の子があって二人の娘が五柱あるとの記錄は事實と見えます. 大筒木垂根王とは倭建命をさす. 大筒木垂根王と大筒木真若王は筒木で生れたでしょう. すると大筒木垂根王の母は誰だと思う? 史書を信じるわけにはいきません. 比古由牟須美命は垂仁天皇の娘阿邪美都比賣命を娶って大筒木垂根王を生んだ. 


垂仁天皇(240-300)

阿邪美能伊理毘賣命

阿邪美都比賣命270-

比古由牟須美命

大筒木垂根王300

=倭建命

稲依別王320

=応神天皇



珠城神社は京都府久世郡久御山町市田新珠城146にある. AD287年建波邇安王の反逆の時垂仁天皇は京都府久世郡で反逆の推移を追っていた. 反逆が鎭壓されたあと垂仁天皇は建波邇安王の娘苅羽田刀弁と弟苅羽田刀弁を娶る. 倭建命はあとで弟苅羽田刀弁の娘布多遅能伊理毘賣命を娶って仲哀天皇を生んだ. 比古由牟須美命の母は竹野比賣で珠城神社と近う筒木(綴喜)で住んだよぅだ. 竹野比賣は垂仁天皇皇后氷羽州比賣命の妹である. 


https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1lAJykTLBEtAuH5C1Mzk_bmxJ0rHMwjyg&usp=sharing


古事記垂仁天皇 后妃と御子


后妃

御子

佐波遅比賣命

品牟都和気命

氷羽州比賣命

印色之入日子命

大帯日子淤斯呂和気命

大中津日子命

倭比賣命

若木入日子命

沼羽田之入毘賣〔ヌバタノイリビメ〕命

沼帯別〔ヌタラシワケ〕命

伊賀帯日子〔イガタラシヒコ〕命

阿邪美能伊理毘賣〔アザミノイリビメ〕命

伊許婆夜和気〔イコバヤワケ〕命

阿邪美都比賣〔アザミツヒメ〕命 稲瀬毘古王に嫁いだ

迦具夜比賣命, 大筒木垂根王の娘

袁邪弁〔ヲザベ〕王

苅羽田刀弁山代大國之淵の娘

落別〔オチワケ〕王

五十日帯日子〔イカタラシヒコ〕王

伊登志別〔イトシワケ〕王

弟苅羽田刀弁〔オトカリハタトベ〕

石衝別〔イハツクワケ〕王

石衝毘賣命 (布多遅能伊理毘賣命)



垂仁天皇 后妃と御子で, また大筒木垂根王の娘の迦具夜比賣命を娶って生んだ御子は袁邪弁王.一柱. としたのは倭建命と關聯された事實を隱すつもりでしょう. 迦具夜比賣命はAD320年頃の生まれなのに300年頃死んだ垂仁天皇の妃とは有り得ない.   


このころ大筒木で次のような有名人が現れる. 応神天皇を息長帯比売の子とする噓は気比大神參拜時宇遅能和紀郎子と応神天皇の父子が名前を換たので応神天皇は息長帯比売の子だとの論理である.


比古由牟須美命270

大筒木垂根王300

=倭建命

稲依別王320

=応神天皇


日子坐王270

大筒木真若王310

=比布礼能意富美

息長帯比売340

=宮主矢河枝比売

宇遅能和紀郎子360

=枕流(とむる)王

比古布都押之信命265

屋主忍男武雄心命295

味師内宿禰330

=木羅斤資=斯麻宿禰

山代内臣の祖

葛城曾都毘古360

=開中費直, 木滿致は曾都毘古の子


隅田八幡神社人物画像鏡銘文は “癸未年八月日十六王年 / 乎鞆王在意柴沙加宮時 / 斯麻念長寿遣開中費直 / 穢人今州利二人等取白 / 上同二百旱作此竟”です. 問題になる四つの解釋は次のようです. 參照(56. 隅田八幡神社人物画像鏡). 斯麻宿禰とは木羅斤資のことで曾都毘古と父子關係である. 


癸未年十六王年

乎革(丙)王

斯麻(宿禰)

開中費直

383年

大鞆和気命

木羅斤資

葛城曾都毘古


息長帯比売(宮主矢河枝比売)は攝政の皇太后だったので大筒木真若王(=比布礼能意富美)も相應しい官職を務めたでしょう. なにをしてたと思う? 百濟の內臣佐平 眞高道を思い出すのは飛躍でしょうかね.


比古由牟須美命は304年百濟の11代比流王(在位304-344)になる. 10代汾西王が死に肖古王系で選ばれた人である. 比流王という王號に注目して比古由牟須美と較べて下さい. 比流は比由から出たと考られる.


比流王11代

日子国意祁都命子

契王12代

古尓王系汾西王子

近肖古王13代

比流王子

近仇首王14代

近肖古王子



倭王系譜も百濟王系譜にあわせたら比古由牟須美命-倭建命-応神天皇の譜に戻すべきです. 


比古由牟須美命270


倭建命300

応神天皇320



百濟20代毗有王(在位427-455)も似たような王號をもっています. 釋日本紀上宮記逸文の繼體天皇の系譜に乎非王がある. この乎非王こそ百濟20代毗有王のことです. 


應神天皇

若沼毛二俣王

意富富杼王

乎非王

斯王(彦主人王)

繼體天皇

320-394

370-424

391-432

412-455

430-475

450-531



百濟と倭は他國であってべつべつの人が住んだとは事實でない. 繼體天皇の系譜は百濟王系譜で次のようになる. 倭-百濟歷史で現れる人物は 同じ人でも二國の歷史に別人として記錄されているのを読み直すべきです.  應神天皇とは近仇首王のことであるのを認める人あるでしょうか.


百濟王系

近仇首王

阿莘王

腆支王

毗有王

鹵王

繼體天皇



304年卽位した比流王は倭の崇神朝征討を図る. 百濟から來た倭征伐軍の中に双子の大碓命と小碓命があった. 双子の母阿邪美都比賣は垂仁天皇の娘で比流王后である. そして印色之入日子命と大中津日子命等の垂仁天皇皇子が比流王治世百濟の高位官職へ抜擢される. 彼らは解氏, 和珥(和邇)氏の祖又は和珥臣の遠い祖先は眞氏を名乘たでしょうか. 比流王時代解仇と解婁の名前が見える. 


倭建命の四道将軍征討

大彦命(240?-310?)

年の上で不可


武渟川別命征討

東国征討(陸奥の相津)

族長を連れて行く

吉備津彦命征討

熊襲征討

熊曾建

丹波道主命征討

出雲征討

出雲建



古事記は倭建命が倭を離れるうしろ姿を詠:よんだ.


そして、その国より飛び翔:かけて行き、河内国の志畿に留まった。そこで、その地に御陵を作って鎮座させた。そこで、その御陵を名付けて白鳥御陵と言うのである。しかしながら、またその地より更に天に翔:かけて飛んで行った。



倭建命の生涯

300年頃出生

320年頃



346-375

山代之大筒木

東国征討

熊襲征討

出雲征討

近肖古王



古事記垂仁天皇条に印色入日子命の記事がある. 狭山池(さやまいけ)は、大阪府大阪狭山市大字岩室にある日本最古のダム式ため池(人工池) である. 



次に印色入日子〔イニシキノイリヒコ〕命は血沼池〔ちぬのいけ〕を作り、また狭山池〔さやまのいけ〕を作り、また日下之高津池〔くさかのたかつのいけ〕を作った.



三國史記  訖解尼師今 21年条(AD330年)には碧骨築造記事がある. AD330年は百濟比流王27年. 


垂仁皇子印色入日子命はAD270年代生まれで比古由牟須美命(比流王)と同年輩です. AD330年印色入日子命は60歲位い. この時代百濟の碧骨そして倭の狭山池が同じ人に依って作られた可能性もある.



- おわり -