2019년 9월 22일 일요일

109. 神武東征の謎 椎根津彦の正體


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 伊勢神宮には天照大神を祀る皇大神宮(内宮)と衣食住の守り神である豊受大神を祀る豊受大神宮(外宮)の二つの正宮がある. 豊受大神宮(外宮)に奉祀される豊受大神は古事記では豊宇気毘売神又は登由宇氣〔トユウケ〕神と表記されるが日本書紀には登場しない. 登由宇氣神は次の文書に出て來る.

古事記5神々の生成
尿から成り出でた神の名は彌都波能賣神. 次に和久産巣日神. この神の子は豊宇氣毘賣神と言う.
古事記 2天孫降臨
次に登由宇氣神. これは外宮之度相〔とつみやのわたらひ〕に鎮座している神である.
摂津国風土記逸文
摂津に稲倉山というのがある. 昔 止与宇可乃売がこの山にいて飯を盛られた. それで稲倉山という. 後になってある理由からやむを得ず丹後の比治の真名井に還って行かれた.
丹後国風土記逸文
奈具社の縁起として次のような話が掲載されている. 丹波郡比治里の比治真奈井で天女8人が水浴をしていたがうち1人が和奈佐の老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなりしばらくその老夫婦の家に住んでいたが十数年後に家を追い出されあちこち漂泊した末に竹野郡船木郷奈具の村に至ってそこに鎮まった. この天女が豊宇賀能売神であるという. 天女は現在の竹野郡弥栄町の奈具神社に豐宇加能賣命として祀られることになったという.
伊勢神宮外宮
豊受大神
伊勢神宮外宮の社伝
雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の比治の真奈井にいる御饌の神 等由気太神を近くに呼び寄せなさい」と言われたので外宮に祀るようになったとされている.

京都府福知山市, 宮津市, 京丹後市, 舞鶴市邊りには登由宇氣神を主祭神として奉まつる神社が多い. 丹後国風土記逸文にも天女として登場するから登由宇氣神は丹後国と深い繫がりを持て実在した人物である可能性はやや高い.

伊勢神宮外宮
三重県伊勢市豊川町279
元伊勢豊受大神社
京都府福知山市大江町天田内60
籠神社眞名井神社
京都府宮津市字大垣430    (奥宮)
奈具神社
京都府京丹後市弥栄町船木273,  (竹野郡奈具神社などとも)
比沼麻奈為神社
京都府京丹後市峰山町久次 (元外宮)
十市御県坐神社
奈良県橿原市十市町1

京都府宮津市に籠神社がある. 海部氏の始祖である彦火明命を主祭神とする籠神社の相殿で豊受大神 天照大神をお祀りしている. 社伝によると 豊受大神は天火明命の天孫降臨の際に御神鏡(依代)に籠り天火明命とともに丹後に天降った. そして神代と呼ばれる昔から天火明命によって奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神を最高神としてお祀りして来ました. その御縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が倭国からお遷りになり天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました. その後天照大神は垂仁天皇の御代に又豊受大神は雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました.

豊受大神が彦火明命とどんな關係であるかについての記錄はない. 宮津市籠神社の天火明命が主祭神になる前から豊受大神は籠神社の奥宮, 眞名井神社でお祀りしたので豊受大神は天火明命より先代の神です.

神代の宇迦之御魂神は人代の天火明命と同一人で豊受大神の子だったと思われます.

神代の名
宇迦之御魂神
伏見稲荷大社の主祭神, 外宮宮域内の豊川茜稲荷神社祭神の宇迦之御魂神
人代の名
天火明命
京都府宮津市 籠神社の主祭神

豊受大神は須佐之男命とはどんな關係を持つ神でしょうか. 須佐之男命の系譜を見ましょう. 須佐之男命の系譜での神大市比賣は豊受大神をさす. 大市は穴磯邑の大市に因むでしょうか.

須佐之男命の系譜
神代 AD 130
神代 AD 160
神代 AD 190
神武東征 AD240
神武 論功行償 AD245
神大市比賣
大年神

大國御魂神
奥津日子神(尾張連祖)
奥津比賣命
饒速日(弟磯城)
高倉下(高尾張邑)
勢夜陀多良(正妃母)
黑速磯城県主
剣根葛城国造
伊須氣余理(正妃)
神大市比賣
宇迦之御魂神
=天火明命
賀茂建角身命
建麻利尼命
  八咫烏
椎根津彦(珍彦)
葛野主殿県主
倭国造
妃 天照大神
天之忍穂耳
邇邇藝命

彦火火出見

彦火火出見

神武天皇
櫛名田比賣
大國主神
阿遅鋤高日子根神
事代主神
天押帯日子命
大倭帯日子国押人
兄師木

兄猾
弟猾
死亡

弟に嵌められ死亡
猛田県主

古事記06邇邇芸命2天孫降臨で登場する人物の中に登由宇氣神が含まれている. “真床追衾”(まとこおうふすま)の表現は邇邇芸命が生れたばかりの赤かん坊だったことを表す. 邇邇芸は 遠い國で生れて海を渡って天照大神のところに連れて來た. それが天孫降臨の芝居に神格化された. 天孫降臨の登場人物は舟を動かす船乗り, 荷物係, 警護員等で登由宇氣神は邇邇芸命の乳母だったと思れる.  

天孫降臨はAD 170年代の出來事である. 登由宇氣神はその時授乳できる健康な30代のお祖母さんだった. 天照大神の孫の乳母だったから宇氣の神である. 長い間, 授乳しながら海を渡らなければならない乳母だったら天照大神が信賴する近親でしょう. 登由宇氣神は天照大神の妹で10年位い若かいAD 140代の生れと考られる.

邇邇藝命

赤かん坊
登由宇氣神
外宮之度相〔とつみやのわたらひ〕に鎮座
乳母
天児屋命 
中臣連等の祖
船乗り
布刀玉命
忌部首等の祖
船乗り
天宇受賣命
猿女君等の祖
船乗り
伊斯許理度賣命
作鏡連等の祖
船乗り
玉祖命                                    以上 五伴緒〔いつとものを〕
玉祖連等の祖
船乗り
思金神
副神
總責任者
手力男神
副神
荷物係
天石門別神
副神
荷物係
天忍日命
大伴連等の祖
警護員
天津久米命
久米直等の祖
警護員

縄文時代から天皇家が万世一系で日本を統治して來たという立場で古事記と日本書紀は編纂されたので時間槪念が無視される歷史書に合わせて考案された系圖はどうしても役に立ちません. 古事記と日本書紀の神日本磐余彦天皇の系にも時間槪念は無視されている.  須佐之男命, 天忍穗耳命, 邇邇, 彦火火出見命の正しい系圖は下のようです.

AD 130年代
AD 150年代
AD 170年代
AD 190年代
父 須佐之男命
天照大神 (卑彌呼)
天忍穗耳命
邇邇
彦火火出見 (難升米)

天孫の系譜
古事記
天照大神(AD 130年代)
天之忍穂耳(AD150代)
天火明命(AD160年代)
邇邇藝命(AD170年)
火照命
火須勢理〔ホスセリ〕命
火遠理命 (=穂穂手見命)
日本書紀
天照大神
天忍穂耳尊
天津彦彦火瓊瓊杵尊
火闌降命(ほのすそり)
火明命
彦火火出見尊(AD190)

神武東征の後 AD 245春正月 地元の伊須氣余理姬と結婚したことで天皇の一族は完全に受け入れられるに至り橿原の屋敷で祝いを行った. この年を天皇の元年とする. 二年の春二月神武天皇は東征の論功行償を行う. ここで道臣命と大久目たちは神武の家臣であるから当たり前と見える. その外の五人は神武東征で登場するばかりで正体が見抜かれない. 日本書紀はなぜ5人の功臣のアイデンティティを隱そうとしたか. 弟猾を除いた4人の母系と神武天皇の母系を遡ると天照大神と登由宇氣神の姉妹に辿りついて神武東征というのは天照大神と登由宇氣神の母系の反乱であったことがばれてしまう. そして 珍彦, 黒速, 剣根, 八咫烏などが登由宇氣神の後裔であるのを隠すため天火明命を天孫の系譜に揷入した.

神武天皇 論功行償
道臣命
築坂邑(橿原市鳥屋町付近)に住着く
大久目たち
畝傍山の西の川辺に住み着く
珍彦の子孫
倭国造
弟猾
猛田県主
弟磯城と通称で呼ばれていた黒速の子孫 
磯城県主
剣根という者の子孫 
葛城国造(高尾張邑)
八咫烏
葛野主殿県主(山城国葛野郡)

神代人代は切断された世界ではなく神代の神が人代の人に続く構造になっている. しかし二つの世界で名前を変えてしまったから歷史書を読むわれわれは神代の誰が人代の誰に当るか推論しなければならない. 黒速, 剣根, 八咫烏などは歷史記錄のあちこちの文脈を注目すれば大体の見当がつく. しかし珍彦の場合, 彼の正體は謎である.

珍彦は神武東征の後倭国造になった. 大和国六御県(むつのみあがた)神社の中に建麻利根命を主祭神とする神社が 二つ ある. 建麻利根命は古事記にも日本書紀にも出て來ない人であるが先代旧事本紀尾張氏系圖に名前が見える. 海部氏の勘注系圖に倭宿禰(珍彦)は始祖彦火明命の三世孫となっているから珍彦が彦火明命の後裔であることは確かそうだ. 時間軸の 上で海部氏系圖を整えると;

時間軸の上で見る海部氏系圖
AD 160年代
AD 190年代
AD 220年代
AD 240年代
天火明命
賀茂建角身命
建麻利尼命 (椎根津彦)
市磯長尾市

大和神社の主祭神 倭大国魂大神は倭宿禰(珍彦)をさす. 垂仁25, 別の伝承では渟名城稚姫命に倭国魂神を祀らせるのが よいと出た. そこで穴磯邑を神域とし大市の長岡岬に おいて祀らせた. ところが渟名城稚姫命は痩せ衰え祀ることができ なかった.  そこで大倭直の祖先の長尾市宿禰に命じて祀らせたという.

倭宿禰AD 287年頃, 武埴安彦命, 大物主神(弟猾)と共に沒落したので大和神社が現在位置に落ち着くまでにはいくつか別の鎮座地流浪した. 沒落した大物主神と倭宿禰の祟りで疫病が発生し大半の民が死亡した. 大田田根子と市磯長尾市とに祀らせると疫病は収まって国内は鎮まったという崇神条はAD 300年頃である.

山辺御県坐神社(井戸堂)
奈良県天理市井戸堂町大門
主祭神 建麻利根命
山辺御県坐神社(別所町)
奈良県天理市別所町
主祭神 建麻利尼命 
十市御県坐神社
奈良県橿原市十市町1
主祭神 豊受大神
大和神社
奈良県天理市新泉町星山306
主祭神 倭大国魂大神

神代, 人代の名前の変更事例
神代の名
神武東征
論功行償

大國御魂神
饒速日命(弟磯城)
黒速  磯城県主

奥津日子神(尾張連祖)
高倉下
剣根葛城国造(高尾張邑)

奥津比賣命
勢夜陀多良
神武正妃

建麻利尼命
珍彦, 椎根津彦
倭国造

天火明の子  賀茂建角身命
八咫烏
葛野主殿県主
宇迦之御魂神=天火明
阿遅鋤高日子根神
兄磯城

迦毛大御神
天押帯日子命
兄宇迦斯

丸邇臣の祖
大倭帯日子国押人命
弟宇迦斯
猛田県主
孝安天皇



- おわり -