2018년 6월 19일 화요일

105. 建伊那陀宿禰




建伊那陀宿禰は古事記 応神天皇の后妃と御子の段でわずか一度だけ登場する人物である.  「天皇は品陀真若王の娘の三柱の女王を娶った. 一人の名は高木之入日売命, 次に中日売命, 次に弟日売命. この女王たちの父の品陀真若王は、五百木之入日子命が尾張連の祖である建伊那陀宿禰の娘の志理都紀斗売を娶って生んだ子である.」


尾張連の祖
建伊那陀宿禰の娘
五百木之入日子

志理都紀斗売
品陀真若王
高木之入日売
中日売命
弟日売命
大山守命
大雀命

AD 240?
AD270
AD300
AD330
AD 355

誤り
比古由牟須美命
倭建命
応神天皇


応神天皇の皇子, 大山守命大雀命は AD 355年代の生れである. すると, 応神天皇と三柱の妃は 330年代の生れになるはずです. 遡って尾張連の祖 建伊那陀宿禰は240年代の生れと推測される. しかし建伊那陀宿禰を AD240年代の生れと見るのは不合理です. なぜかとすると建伊那陀宿禰は倭建命と同代の人物であるから.

海部氏系図, 尾張氏系図がありますか時間槪念を隨伴しない系図は檢證出來ません. 合理的時間軸と共に天火明命の系圖を考えて見ましょう.  建稻種命は AD 300年代の生れで倭建命と同世代になります. 美夜受比売同世代だから倭建命とのロメンスも有り得る.  名前に付いている數字は須佐之男命(1)からの世代番號でございます.

古事記 応神天皇の后妃と御子の段での五百木之入日子が建伊那陀宿禰の娘 志理都紀斗売を娶って生んだ子が品陀真若王であるとは誤りだったことになります.  建伊那陀宿禰は 300年代の生れで倭建命, 品陀真若王と同世代である.

AD 160
AD 190
AD 220
AD 250
AD 275
AD 300

宇迦之御魂神(2)
(天火明命)
(笠水彦命)
賀茂建角身命(3)
(八咫烏)
(笠津彦命)
建田背命(4)
波邇夜須毘賣(4)
建麻利尼命
宇那比姬命
建諸隅命(5)
竹野媛
日葉酢媛命
沼羽田之入毘賣
阿邪美能伊理毘賣
倭得玉彦命(6)
建稻種命(7)
美夜受比売

同世代和邇氏系図

大國主神(2)
事代主神(3)
天押帯日子命(4)
妃 宇那比姬命
日子国意祁都命(5)
妃 竹野媛
比古由牟須美命(6)
倭建命(7)
妃 美夜受比売

古事記景行天皇時代, 倭建命は東国征討の後, 尾張国に帰って来て, 先の日に約束していた美夜受比売と結婚したとあるが倭建命の子孫の段には美夜受比売の名前は出てこない. 古事記は美夜受比売と建伊那陀宿禰の關係について話さなかった.  

建伊那陀宿禰を種命と表記した記錄もある.

愛知県春日井市に内々神社(うつつじんじゃ)がある. 東征の路、水軍を率いていた建種命がめずらしい海鳥を見つけて、ヤマトタケルに上しようと、捕まえようとして駿河の海に落ち水死し、ヤマトタケルが東征の路で尾張の津峠に入った後、早馬でけてきた者の久米八腹から、建種命が水死した報告を聞き、悲泣して「うつつかな、うつつかな」といわれそのを祀ったのが起源とえられている.

三河湾(渥美湾)の西尾市(吉良町)にある宮崎という地にある岬の丘の地に幡頭神社(はずじんじゃ)がある. 東征の路、「幡頭」を努めた建種命が駿河(伊豆)沖の海で水難事故で死に、遺骸がこの岬の宮崎海岸に流れ着き、村人達により葬られたとえられる。

京都府宮津市の籠(この)神社の宮司家に二つの古い系図が伝わる. 略称『勘注系図』と『本系図」である. あそこに十二世孫として建稲種命(たけいなだねのみこと)という人物が記される. 建稲種命は日本武尊の東国平定に従ったとされる.ところが帰る途中、愛知県の三河湾あたりで水難事故に会い水死する。建稲種命の妹に宮簀姫(みやずひめ)と云う人物がある。宮簀姫は日本武尊の妃になったとされる人で、愛知県の熱田神宮は、宮簀姫が日本武尊の形見である草薙剣(くさなぎのつるぎ)を祀った事に始まるとされる。

勘注系図

始祖 天火明命
兒 天香語山命
孫天村雲命
3世孫 倭宿禰命
4世 笠水彦命
5世 笠津彦命
6世 建田背命
7世 建諸隅命
8世 日本得玉彦命
9世 意富那比命
10世 乎縫命
11世 小登與命
12 建稲種命
          宮簀姫







時間的整合性の檢證出來る天火明命系圖と『勘注系図』を比たら『勘注系図』には存在したことのない架空の世代が含まれている.  建稲種命は檢證出來る天火明命系圖で5世孫であるのに勘注系図では12世孫になってしまう.

AD 160
AD 190
AD 220
AD 250
AD 275
AD 300

始祖
宇迦之御魂神
(天火明命) 
(笠水彦命)
賀茂建角身命
(八咫烏)
(笠津彦命)
建田背命
波邇夜須毘賣
建麻利尼命
宇那比姬命
3世孫
建諸隅命
竹野媛
日葉酢媛命
沼羽田之入毘賣
阿邪美能伊理毘賣
4
倭得玉彦命


(玖賀耳之御笠討伐時登場)
5世
建稻種命
美夜受比売

倭建命東国征討は AD 320年頃の出來事である. 倭建命は25歲, 建稻種命も同年輩だったと思われる. もしかしたら 建稻種命は婚前で早死にした可能性もある.

天火明命は AD 160年頃, 現京都府宮津市邊りで生れたと思われる. 賀茂建角身命の時代, 神武東征時, 神武側に立て協力した功勞で245年頃, 葛野主殿県主 (かづののとのもりのあがたぬし) になって倭に近接した山城国葛野郡まで進出し家門の活路を開く.しかし3世孫建諸隅命の時代,  270年頃, 天日槍に負けて日葉酢媛命, 沼羽田之入毘賣, 阿邪美能伊理毘賣の3姉妹が天日槍の妃になる. 4 倭得玉彦命は家門がなくなったから名前に<建>の字がないまま天日槍の手下になったと思われる.

倭古代史の流れ (神武から仁徳まで)      

神武天皇
正始六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授

天押帯日子命
(神武東征中死亡)
開化天皇
孝安天皇
立卑彌呼宗女壹與年十三爲王

日子国意祁都命
孝靈天皇
崇神天皇
建波邇安王の反逆
玖賀耳之御笠討伐
四道将軍
比古由牟須美命
景行天皇
倭建命
成務天皇( -355)
仲哀天皇( -362)
建内宿禰
東国征討
近肖古王  
貴須王
神功皇后
応神天皇
宮主矢河枝比売
七支刀(372)
枕流(トムル)王

大鞆和気命
宇遅能和紀郎子
応神死亡(394)
仁徳天皇
AD 245
AD 256
AD 287 丁未年
AD 318戊寅年
AD 362壬戌年
AD 384


AD 300年頃, 生れた建稻種命は家門のないまま, 美夜受比売と尾張國を流浪したでしよう. 318年頃, 倭建命に見つかれ家門を復舊し再び名前に<建>の字を回復したのではないでしょうか. 320年頃, 東国征討に出たから建稻種命の死亡は 321年位でしょう.

家門の系圖等は家門を美化したり 神格化する傾向があるので時間軸と對照しながら読み直すべきでございます.

- おわり -