2017년 1월 1일 일요일

95. 神の名そして人の名

神武東征は西紀239年から245年までの出來事である. 神武東征以前は神代とし, 以後は人代として區別するから 神の名前と人の名前が異なる. そういうわけで神武東征前後の個人の名前が變わるから歷史の連續性が見えない. 西紀245年大和の支配者になった神武天皇は大和現地出身の伊須気余理比賣を正妃に迎える. 古事記は伊須気余理比賣の父の名を大物主神, 日本書紀は事代主神とした.

事代主神は古事記と日本書紀で特定神を意味するが, 大物主神の場合は三つの神に使えるから混亂を避けるために一つの神の名と固定する必要がある. 須佐之男命の子は大國主神, 大國主神の子は事代主神であり, 事代主神の子が 大物主神で ある. 古事記と日本書紀で大物主神は大國主神又は事代主神と同一神にする時もあるが別神とするべきです.


須佐之男命
大國主神
事代主神
大物主神
AD 130
AD 160
AD 190
AD 220

須佐之男命の系譜で神武東征と巡りあうのは事代主神と大物主神の世代であるから人の代になった後, この神の名前が 誰であるかを調べて見る. 神武天皇は AD 194年生れでAD 256年歿と推定する. (90. 神武東征 前後の歷史のジグソーパズ ル 參照)

神武天皇の正妃に選ばれた伊須気余理比賣の父の名は日本書紀の事代主神が正しい. 伊須気余理比賣の父母は下記の通り.



勢夜陀多良比賣
大物主神
比賣多多良 伊須気余理比賣
三嶋溝杙姫, 玉櫛媛
事代主神
姫蹈鞴五十鈴姫命

人の代になって 孝昭天皇 妻子は下記のように現われる.


奥津余曾の妹, 余曾多本毘賣
御真津日子訶恵志泥命
天押帯日子命 (兄宇迦斯)
大倭帯日子国押人命 (弟宇迦斯)

瀛津世襲の妹, 世襲足媛
観松彦香殖稲天皇  
(5代孝昭)
天足彦国押人命
日本足彦国押人天皇 (6代孝安)

神代と人代の各項目は等價になると思われる. すると, 事代主神 = 第5代孝昭天皇 となるはずである.

勢夜陀多良比賣 = 三嶋溝杙姫, 玉櫛媛 = 余曾多本毘賣 = 世襲足媛

そして天押帯日子命 (兄宇迦斯), 大倭帯日子国押人命 (弟宇迦斯, 孝安天皇), 伊須気余理比賣は兄妹だったことになる.

大物主神は意富美和之大神で色んな名前を持つ. 古事記に櫛御方命, 飯肩巣見命, 建甕槌命, 先代舊事本紀は 天日方奇日方命, 武日方命, 阿田都久志尼命, 鴨主命, 久斯比賀多命ともする. 彼は 妹が神武天皇の皇后になったことにより, 可美真手命とともに申食国政大夫 (けくにのまつりごともうすうなきみ)と なったという. 大物主神, 弟宇迦斯, 大倭帯日子国押人命は同一人で神武治世で功臣になった人物である. 大物主神と 夜麻登登母母曽毘売の 神話は AD 287年頃, 外侵を受けた孝安天皇の悲劇的終末を傳える物語であろう.

                                                                              - 終り -

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