須佐之男命から始まる鴨氏の根源 (數字は世代番號)
AD 130
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AD 160
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AD 190
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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阿遅志貴高日子根神
事代主神(3)
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大年神(2)
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大國御魂神(3)
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宇迦之御魂神(2)
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賀茂建角身命(3)
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奈良県御所市鴨神社
高鴨神社
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奈良県御所市鴨神1110
高鴨社
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阿治須岐高日子根命(迦毛之大御神)を主祭神
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鴨都波神社
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奈良県御所市宮前町514
下鴨社
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積羽八重事代主命と下照姫命を主祭神
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葛木坐御歳神社
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奈良県御所市東持田269
中鴨社
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祭神は御歳神で、相殿に大年神・高照姫命
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京都 賀茂神社
賀茂別雷神社 (上賀茂神社)
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京都市北区上賀茂本山339
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建波邇安命を祭神とする
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賀茂御祖神社 (下鴨神社)
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京都市左京区下鴨泉川町59
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賀茂建角身命, 波邇夜須毘賣
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古事記で丸邇臣が初め出るのは
“開化天皇が丸邇臣の祖である日子国意祁都命の妹、意祁都比賣命を娶って生んだ御子は日子坐王一柱”である.
日本書紀では孝昭天皇の息子に天足彦国押人命という皇子がいて、その皇子が和珥臣等の始祖であると書いてある.
日本姓氏家系大辭典 和邇氏系図は下のようですが,
年代を隨伴しない系図はなんの役にも立たない. ここには假想の世代が含まれている.
天足彦國押人命(1)
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和邇日子押人命(2)
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彦国姥津命(3)
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彦国葺命(4)
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大口納命(5)
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大難波宿禰(6)
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難波根子建振熊命(7)
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米餅搗大使主(8)
日觸使主
大矢田宿禰命
石持足尼命
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信賴性の檢證出來ない日本姓氏家系大辭典
和邇氏系図の代り, 古事記と日本書紀の記錄を調べて見ましよう. 記紀の內容とは隨分ずれがあるから注意して下さい. 正史といわれる歷史書の內容は嘘だらけでこざいます.
鴨氏-和邇氏系譜 (數字は世代番號)
AD 130
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AD 160
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AD 190
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AD 220
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AD 245
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
(孝昭天皇)
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天押帯日子命(4)
(神武東征中死亡)
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日子国意祁都命(5)
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AD 270
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AD 300
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AD 330
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AD 360
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AD 390
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比古由牟須美命(6)
建豊波豆羅和気王
(五百木之入日子)
日子坐王
(彦国葺)
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倭建命(7)
品陀真若王
丹波道主命
水穂之真若王
神大根王
比布禮能意富美
(難波根子建振熊命)
大筒木真若王
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應神天皇(8)
高木之入日売
中日売命
弟日売命
宮主矢河枝比売
袁那弁郎女
息長真若中比売
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大山守命(9)
大雀命
宇遅能和紀郎子
(大鞆和気命)
若沼毛二俣王
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意富富杼王(10)
忍坂之大中津比売命
田井之中比売
田宮之中比売
藤原之琴節郎女
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日子坐王と彦国葺は同一人である. 日子坐王は開化天皇の子, 彦国葺は日子国意祁都命の子と傳われているが開化天皇 と日子国意祁都命が夫婦であるとしたら二人は同一人のはずです.
和邇氏の主流は 事代主神(3) - 天押帯日子命(4) - 日子国意祁都命(5) -比古由牟須美命(6) -倭建命(7) -應神天皇(8)であってこの
ラインは父子間の流れである. いろいろの事情あって古事記と日本書紀はこの關係網をわざとゆがめて記錄した. 應神天皇の皇子らは高句麗との戰亂のさ中で四代の百濟王と倭王を務めた. 卽ち枕流王(在位384-385), 辰斯王(385-292), 阿莘王(392-405), 仁德天皇(397- 418)がそれである.
百濟王系と鴨氏-丸邇氏の流れを見ましょう.
百濟王系(ADは出生推定年代)
AD 130
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AD 160
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AD 190
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AD 210
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AD 240
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5肖古王(在位166-214)
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6仇首王(214-234)
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7沙伴王(234)
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8古尒王(234-286)
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9責稽王(286-298)
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AD 270
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AD 270
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AD 275
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AD 295
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AD 320
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10汾西王(298-304)
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11比流王(304-344)
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12契王(344-346)
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13近肖古王(346-375)
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14近仇首王(375-384)
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AD 363
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AD 348
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AD 370
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AD 390
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AD 415
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15枕流王(384-385)
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16辰斯王(385-392)
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17阿莘王(392-405)
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18腆支王(405-427)
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19久尒辛王(420-425)
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同時代 鴨氏-丸邇氏の流れ
AD 130
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AD 160
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AD 190
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AD 220
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AD 245
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
(孝昭天皇)
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天押帯日子命(4)
(神武東征中死亡)
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日子国意祁都命(5)
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AD 270
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AD 300
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AD 330
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AD360
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AD 390
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比古由牟須美命(6)
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倭建命(7)
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應神天皇(8)
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大山守命(9)
大雀命
宇遅能和紀郎子
(大鞆和気命)
若沼毛二俣王
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意富富杼王(10)
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百濟 5代肖古王は溫祚王以來の血統じゃなく北部の一部族長だったらしいが2世紀頃百濟は勿論, 倭をも掌握したと思われ
る. 肖古王と須佐之男命は同一人である. 須佐之男命の後裔が倭の鴨氏-丸邇氏であり百濟王家の人材プ-ルの役目をした.
234年百濟の沙伴王は帶方郡 古尒王に王座を奪われて倭へ歸る. 以後 古尒王-責稽王 - 汾西王の三代の中, 責稽王は戰死,
汾西王は殺害されるに到たる. そして古尒系の代りに304年肖古系の比流王(304-344)が卽位する. 比流王が誰の子で あろうかについて三國史記はすじが通じない記錄をしている.
比流王は和邇氏の比古由牟須美命でございます. 信じられますか. 古事記は彼を開化天皇の皇子としたが開化天皇が産んだ のは日子坐王たけです. 開化天皇は日子国意祁都命の妃であり女性であった. この事實を隱すためいろいろと潤色された でしょうね. 古事記開化天皇の系譜は日子国意祁都命の系譜でございます. 驚きは比古由牟須美命(6)が倭建命(7)の父, 倭建命(7)は應神天皇(8)の父であったことです. 今までの歷史がすべて嘘であったのを感じさせます.
百濟王と倭の鴨氏-丸邇氏の人物を対照させると下のようになります. 倭の鴨氏-丸邇氏の人物たちは百濟王家の構成員で あったことが分る.
肖古王(在位166-214)
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仇首王(214-234)
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沙伴王(234)
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古尒王(234-286)
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責稽王(286-298)
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
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汾西王(298-304)
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比流王(304-344)
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契王(344-346)
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近肖古王(346-375)
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近仇首王(375-384)
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比古由牟須美命(6)
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倭建命(7)
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應神天皇(8)
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枕流王(384-385)
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辰斯王(385-392)
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阿莘王(392-405)
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腆支王(405-427)
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宇遅能和紀郎子(9)
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大山守命(9)
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若沼毛二俣王(9)
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意富富杼王(10)
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百濟と倭の古代史は別別の歷史じゃない. 百濟と倭の古代史は分離出來ない一體である. 今の兩國關係の愛憎で1500年前 の古代史を見るのは望ましくない. 倭は當時國の槪念のなかった自然部族の時代だった
でしよう. 國造りは全く須佐之男命と大國主神の役目であった.
倭古代史の流れ (神武から仁徳まで)
神武天皇
正始六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授
天押帯日子命
(神武東征中死亡)
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開化天皇
孝安天皇
立卑彌呼宗女壹與年十三爲王
日子国意祁都命
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孝靈天皇
崇神天皇
建波邇安王の反逆
玖賀耳之御笠討伐
四道将軍
比古由牟須美命
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景行天皇
倭建命
成務天皇( -355)
仲哀天皇(
-362)
建内宿禰
東国征討
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近肖古王
貴須王
神功皇后
応神天皇
宮主矢河枝比売
七支刀(372)
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枕流(トムル)王
大鞆和気命
宇遅能和紀郎子
応神死亡(394)
仁徳天皇
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AD 245
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AD 256
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AD 287 丁未年
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AD 318戊寅年
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AD 362壬戌年
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AD 384
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神武東征は百濟古尒王代の出來事である. たから須佐之男命(1)
-大國主神(2) -事代主神(3)の時代は神武天皇以前の神代に屬 する. 神武治世に入るのは245年であった.
鴨氏-丸邇氏と繫がりのない古尒王は倭の內戰に介入しないと難升米は信じて 東征に出たでしようね.
- おわり -
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