古事記
崇神天皇条に御世に疫病が多く起き人民が死んで尽きそうになった. 天皇の夢に大物主大神が現れて 「これは我が御心である.
そして意富多多泥古をもって我が御魂を祭らせれば、祟りも起こらず、国は安らかに治まるだろう」と言った. このようなわけで早馬を四方に走らせ意富多多泥古と言う人を見つけた.
呼び寄せて, 天皇が 「おまえは誰の子であるか」と尋ねると、「僕は大物主大神が陶津耳命の娘の活玉依毘賣を娶って生んだ子の、名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子、建甕槌命の子、僕が意富多多泥古です」と申し上げた.
そこで天皇は大いに喜んで 「天下は治まり、人民は栄える」と言って意富多多泥古命を神主として 御諸山で意富美和之大神の御魂を祭祀させた.
これによって疫病はすっかり止み 国は安らかに治まった.
それが奈良県桜井市三輪の大神神社(おおみわじんじゃ)の由來である.
大神神社(おおみわじんじゃ)
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奈良県桜井市三輪1422
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主祭神 大物主大神
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古事記の記錄に依ると意富多多泥古の父母は下のようになる.
父
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母
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子
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大物主神
櫛御方命
飯肩巣見命
建甕槌命
意富美和之大神
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陶津耳命の娘
活玉依毘賣
倭迹迹日百襲姫命
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意富多多泥古命
神君(みわのきみ),
鴨君の祖
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古事記は意富多多泥古と言う人を神の子と知った理由を說明する. 上に述べた活玉依毘賣はその容姿が整っていた。そこに壮夫がいて、その容姿や威厳は比類なきほどで、夜半になって突然やって来た。そこで惹かれ合って結婚して一緒に住んでいる間に、まだ幾時も経っていないのにその美人は妊娠した。そこで父母がその妊娠した事を怪しんで、その娘に、「おまえは自づと妊娠した。夫もいないのにどうして妊娠したのか」と尋ねると、「立派な壮夫がいて、その姓名も知りませんが、毎晩やって来て一緒に住んでいる間に自づと懐妊しました」と答えた。そこでその父母はその人を知りたいと思って、その娘に、「赤土を床の前に散らし、糸巻きに巻いた麻糸を針に通して、その衣の裾に刺しなさい」と教えた.
そこで、教えられた通りに翌朝に見ると、針でつけた麻糸は戸の鍵穴を通り抜けて出て、残っていた麻糸はたった三勾〔みわ〕だけだった.
そこで、鍵穴から出たことを知って、糸を辿って行くと美和山に続いていて、神の社に行き着いた.そこで、その神の子と知ったのである。そしてその麻糸が三勾〔みわ〕残っていたことによってその地の名を美和〔みわ〕と言うのである. この意富多多泥古命は神君〔みわのきみ〕鴨君〔かものきみ〕の祖.
須佐之男命(1)から始まる鴨氏の根源を這って行くと下のような流れがある. 時間的整合性のない部分は直したから 古事記や日本書紀の系譜と一致しない場合もありうる.
名前についている數字は須佐之男命(1)からの世代番號 である.
AD130
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AD160
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AD190
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AD220
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AD250
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須佐之男命(1)
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大年神(2)
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大國御魂神(3)
邇芸速日命(3)
弟師木(3)
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宇痲志痲遲命(4)
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須佐之男命(1)
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宇迦之御魂神(2)
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賀茂建角身命(3)
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建田背命(4)
波邇夜須毘賣(4)
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建諸隅命(5)
建波邇夜須毘古(5)
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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阿遅志貴高日子根神
迦毛大御神
兄師木(3)
大倭日子鋤友命(3)
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
御真津日子訶恵志泥
孝昭天皇(3)
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天押帯日子命(4)
大倭帯日子国押人(4)
伊須氣余理(4)
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日子国意祁都(5)
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須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
御真津日子訶恵志泥
孝昭天皇(3)
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大倭根子日子國玖流
孝元天皇(4)
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大彦命(5)
稚日本根子彦大日日
倭迹迹姫命(5)
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日本書紀 崇神天皇条に百襲姫命の伝承がある.
さて、倭迹迹日百襲姫〔ヤマトトトビモモソヒメ〕命には様々な言い伝えがある。いつのことかはわからないが、大物主神の妻となったという。しかしその神は昼は姿を見せず、夜のみ現れた。倭迹迹姫が夫に、「あなたは昼に来ないので顔を見ることができません。朝までいてくださいな」と語ると、大神〔おほみかみ〕は、「それなら明朝、あなたの櫛箱〔くしばこ〕に入っていよう。ただし、驚かないように」と答えた。倭迹迹姫命は奇妙に思いながら明朝まで待ち、櫛箱を見た。すると小蛇がいたので驚いて叫んだ。大神は人の姿となり、その妻に、「おまえは私に恥をかかせた。私もおまえに恥をかかせよう」と語った。倭迹迹姫命は御諸山(三輪山のこと)に登って天をあおぎ、後悔のあまり脱力してすっと座り込んだ。すると箸が陰部に突き刺さった。このことによって亡くなられた。
倭迹迹姫命の出自
日本書紀は倭迹迹日百襲姫命を孝霊天皇の娘としたが作り話である. 古事記は倭迹迹姫命(5)を孝元天皇(4)の娘と記錄した. 倭迹迹姫命(5)は大物主神の妻とした. 古事記と日本書紀の記錄に依ると陶津耳命の娘, 活玉依毘賣は倭迹迹日百襲姫命と同一人である.
そして陶津耳命というのは孝元天皇(4)のことになる. 大彦命(5), 稚日本根子彦大日日, そして倭迹迹姫命(5)は おおよそ AD 240 – AD 250の間, 卽ち神武治世の生れである.
須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
御真津日子訶恵志泥
孝昭天皇(3)
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大倭根子日子國玖流
孝元天皇)(4)
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大彦命(5)
稚日本根子彦大日日
倭迹迹姫命(5)
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AD 130
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AD 160
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AD 190
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AD 220
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AD 250
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日本書紀崇神条, 武埴安彦の反乱の記事では大彦命を崇神天皇の伯父と表現した. 言替えれば大彦命は崇神天皇より一世代前の人物である.
また天皇の姑〔みをば〕(祖父の姉妹)の倭迹迹日百襲姫命という記錄もあるがこれはちょっとの 誇張であろう.
大物主神は意富美和之大神で色んな名前を持つ. 古事記に櫛御方命, 飯肩巣見命, 建甕槌命, 先代舊事本紀は 天日方奇日方命, 武日方命, 阿田都久志尼命,
鴨主命, 久斯比賀多命ともする. 彼は 妹が神武天皇の皇后になったことにより, 可美真手命とともに 申食国政大夫と なったという. 大物主神(4), 弟宇迦斯(4),
大倭帯日子国押人命(4), 孝安天皇(4)は同一人で神武治世で功臣になった人物である.
大倭帯日子国押人(4)と意富多多泥古命(5) 系譜
須佐之男命(1)
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大國主神(2)
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事代主神(3)
御真津日子訶恵志泥
孝昭天皇(3)
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大倭帯日子国押人(4)
大物主神
孝安天皇(4)
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意富多多泥古命(5)
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AD 130
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AD 160
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AD 190
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AD 220
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AD 270
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AD 287 –
AD 318年の間は孝靈天皇と崇神天皇治世です. 記紀とは內容が違います. 孝靈天皇の黒田廬戸宮〔くろだのいほとのみや, 大和国城下郡〕と崇神天皇の師木水垣宮〔しきのみづかきのみや, 奈良県桜井市金屋〕は現桜井市周邊である.
この時代 大和で起きた歷史的事件について考えて見ましょう.
神武天皇
正始六年詔賜倭難升米黄幢付郡假授
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開化天皇
孝安天皇
立卑彌呼宗女壹與年十三爲王
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孝靈天皇
崇神天皇
建波邇安王の反逆
玖賀耳之御笠討伐
四道将軍
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景行天皇
倭建命
成務天皇
仲哀天皇
東国征討
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近肖古王
貴須王
神功皇后
応神天皇
宮主矢河枝比売
七支刀
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枕流(トムル)王
大鞆和気命
宇遅能和紀郎子
応神死亡
仁徳天皇
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AD 245
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AD 256
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AD 287 丁未年
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AD 318戊寅年
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AD 362壬戌年
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AD 384
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神武から仁徳までの倭古代史の流れを6 個のGroupに區切ったら三番目の建波邇安王の反逆, 玖賀耳之御笠討伐, 四道将軍等が現れ,
戰爭の臭いが感じられる時代である. 四道将軍とは敵を殲滅するため全國を追って搜索したとのことでしょう. これは須佐之男命(1)の鴨氏が權座から蹴出されたことを意味する.
建波邇安王(5)は反逆したんじゃなく新しく現われた勢力から國を守るため新しい勢力と戰かったが負けた.
大彦命(5), 彦国葺(6)は新しい勢力に協力してこの時代, 生き殘った. 日子国意祁都(5)と 開化天皇は夫婦でその間で彦国葺(6) 卽ち日子坐王(6)が生れた.
彦国葺(6)と日子坐王(6)は同一人であり、開化天皇は女性である. しかし女性と記錄したら 三國志魏志倭人傳 正始八年(247年)の「壹與」記事と絡んで時代と眞狀がばれる恐れがあるから開化天皇の本来の姿を隱すため開化天皇周邊系譜は勿論,
性別まで歪曲した. 日子国意祁都(5)についての史蹟も全然 殘していない.
日子坐王(6) と 彦国葺(6)の系譜
大國主神(2)
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孝昭天皇(3)
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孝元天皇(4)
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建波邇夜須毘古(5)
大彦命(5)
開化天皇(5)
倭迹迹姫命(5)
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日子坐王(6)
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大國主神(2)
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孝昭天皇(3)
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天押帯日子命(4)
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日子国意祁都(5)
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彦国葺(6)
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建波邇安王(5), 大彦命(5), 開化天皇(5), 倭迹迹姫命(5), 日子坐王(6)らは孝元天皇(4)の後裔であるが乱世のさ中, 異なる途を 行く. 弁解に困った記紀編纂者達は孝元天皇の系譜も騙してこの時代の歷史を記錄したので古事記と日本書紀の行間を讀むことをお勸めします.
大物主神はどうして夜のみ倭迹迹日百襲姫のところに現れたのでしょうか?
大彦命(5)と彦国葺(6)が建波邇安王の反逆を討伐する際に, 大和王は三輪山に避けて夜のみ妻の倭迹迹日百襲姫のところに 潜って出入りしたとのことじゃないでしょうか. お歲六十を越えた大物主神の末年の姿でこざいます.
20代に同母兄, 天押帯日子命(4)を伊波禮毘古に密告しては殺し, 神武時代申食国政大夫と なった以後, 權力を樂しんで來た 彼は, 開化天皇死後, 卽位したと思れる.
天押帯日子命(4)の後孫は父のかたき(仇)を討つつもりで 新しい勢力に協力したでしょうか. 古事記に天押帯日子命(兄宇迦斯) (4)の後孫は尨大に記錄されているが大倭帯日子国押人(弟宇迦斯)(4)の後孫は 殆どない.
政權が變って大物主神の祟りを恐れた新政權が大物主神の子, 意富多多泥古命(5)を探し,
父の祭祀をさせた. 意富多多泥古命(5)の母,
倭迹迹姫命(5)は家門と共に新政權に協力したでしょう. 國民からも新政權からも崇仰された
人物であったらしい.
- 終り -